ホーム >  九大生のための留学情報 >  国際社会で活躍中の先輩から

▼国際社会で活躍中の先輩から


●福岡、タイ、東京、そしてインドへ

稲吉 彩弓(2007年3月法学部卒業)

在学中 -タイ、タマサート大学へ交換留学-

私は卒業間近の大学4年生の時に大学の交換留学制度を利用し、タイのタマサート大学へ4ヶ月間留学しました。当時周囲の人に「何故タイなのか?」と聞かれました。その答えは単純で、留学するなら非英語圏、しかも機会があるのなら、今チューターとしてお世話をしているJTWプログラム*学生の国であるタイに行ってみたいというものでした。留学前には一切タイ語は出来ませんでしたが、この4ヶ月で日常会話なら何とかこなせる位になりましたし、そのお陰でタイの田舎に遊びに行った時も地元の人々と交流することも出来ました。今思うとこのタイでの4ヶ月の生活は私に「何事も自分の気持ち・やる気次第で可能となる」、「好奇心を持ち続ける大切さ」を教えてくれたように思います。

*JTWプログラム:1年または半期、外国の大学からの学生を受け入れるプログラムで、九大生をチューターとして配置する制度がある。チューターは来日直後から福岡を離れるまでの滞在期間中、留学生の支援をする。

卒業直後 -商社へ就職-

卒業後は東京の某商社で鉄鋼を輸出する部門に4年間程度身をおきました。就職活動時から少しでも世界と繋がれる仕事に就きたいとという思いが強く、商社は一つの選択肢でした。業務内容は、日本の鉄鋼製品を海外(欧米・中国・インド等)に輸出することで、4年間で日本にいながら様々な国と繋がる仕事が出来、非常に仕事は充実していました。しかし、日本にいて世界と繋がるといっても限界があるのではないだろうかと思い始めていたのも事実で、次第に実際に海外で生活をしたい、しかも本当にその国を知るには地元民に近い立場で行きたいという気持ちが強くなりました。

転機 -JICA青年海外協力隊へ-

そして、入社3年半位経った頃に思い切ってJICAの青年海外協力隊の日本語教師に応募することを決意しました。日本で日本語教師としての経験はボランティア程度しかありませんでしたが、大学在学中の3年生の時に一年間休学し、アメリカの中学校でインターンとして日本語を教えた経験があったので、その経験が自分を後押ししてくれたように思います。結果として試験をパスすることが出来、2011年3月末から2013年3月末まで日本語教師としてインドの中等教育機関で働く機会を得ました。当初はけじめとして会社を辞めて2年間参加するつもりでいましたが、幸いに会社の上司の方々の理解があり2年間の休職を認めていただくことが出来ました。

現在 -インドでの試行錯誤-


  現在(2013年1月時)、インドへ派遣されて1年9ヶ月が経過しました。私の配属先は私立の中等教育機関で、4年生(9歳位)から10年生(15歳位)のインドの子供たち総勢90名に日本語・日本文化を地元の教師と共に教えています。デリーの殆どの私立の学校では英語・ヒンディー語以外に第三言語として外国語を選択せねばならず、配属先の学校では仏語・独語・中国語・ウルドゥ語・アラビア語・スペイン語・サンスクリット語と並んで日本語も選択肢の一つになっています。毎日の授業はtry and errorの連続です。あまり文法ばかり厳しく教えていても面白くない、日本語ネイティブの私がいるからこそできることはないか、日々模索しています。その活動の一つとして茶道を紹介した時は、抹茶の味が子供たちには苦かったらしく(インド紅茶はとても甘い)殆ど飲まれず残ってしまいました。日本から抹茶の粉を取り寄せて張り切って行ったものの、なかなかこちらの思いは通じるものではないなと感じたこともありました。今思うと、これは完全に自分の思いを子供たちに押し付けていたに過ぎないのですが、配属された当初はもどかしい気持ちで一杯でした。活動期間が3ヶ月を切った今、毎日が目まぐるしいスピードで過ぎていきますが、自分がいるうちに出来る限り沢山の活動(文化紹介)をしたいと思っています。

  2013年3月末には日本へ戻り、その後はまた同じ会社へ復帰予定です。会社でどのような仕事に関わることが出来るかは現時点では分かりませんが、何らかの形でインドと関われる業務ができるよう希望を出したいと考えています。また、折角の2年間の経験を利用して、今後国際協力に興味がある人たちの支援や、国際交流イベントに積極的に参加していきたいと思います。