〜私の留学奮闘記〜  by Akito Ehara
このまま学生生活は終われない!
「もうすぐ就職かぁ」などとぼんやり考えていたときにそんな思いがこみあげてきました。誰もが進路決定の際に感じるであろう焦燥感。ありふれた研究室での一コマです。現在僕は工学府の大学院生。留学への道はそんなありふれた日常の中から始まりました。
筆者の研究室の机

大学二年の時に友人とイタリアに行ったことがあります。初めて直にふれる異文化に戸惑いながらも「世界は広いっ!」とあたりまえのことにえらく感動しました。そして一つの決意をする。

よし、留学して世界を見よう!

目的?それは世界を見ること。それ以上は何もない。当時そのことが自分を大きく変えてくれるのではないかと漠然と考えていました。「山の彼方に幸せ求め生きる人」という言葉を聞いたことがありますがまさにそんな感じです。(ちなみにこの言葉の本意は幸せは身近なところにあるということ。



あれから月日は流れて大学院生になりました。研究と雑事に終われて日々が過ぎていく。その先にある就職。思い描いていた留学の夢は目の前にあることを言い訳にしながらいつしか遠くなってしまっていました。なんだか悔しい。いつから自分は願うだけの人間になってしまったのだろう。この先もそんな風に人生をおくるのか。思いは次第に強くなっていきました。この歯車をどこかで変えたい。変えないといけない。留学すること以上に今挑戦してみること、それが自分の人生において大きな意味をもつような気がしました。大げさだと思うかもしれないけどホントにそんな気がしたのです。うまくいけば心から喜べばいいしダメなら本気で涙を流せばいい。そう、このまま学生生活は終われない。

そんなこんなで今、留学している自分がいます。留学先に選んだのは韓国にある延世大学国際教育学部の英語プログラム。そこでは授業は英語で行われる。と、同時に韓国語を学ぶことができます。日本と似て非なる国と言われる韓国に興味があったのとこのプログラムには世界各国から人が集まることを聞いてここに決めました。
寮の友人達(筆者は一番奥の中央)




浮いては沈み、の繰り返し
  冬の日の延世大学内風景


カリフォルニアから来た友人達と
キャンパスにて(筆者は一番右)
2004年2月17日、韓国の仁川空港に到着。空港を降りて重い荷物に苦戦しながらも留学できたという達成感に酔いしれたものです。その日の気温は2月にしてはとても暖かく、韓国が自分を歓迎してくれているような気がしました。寮もキレイですべてが順調にすすんでいくかのような気がしました・・・が、すぐに壁が立ちはだかります。

英語が聞こえない・・・

僕のいる国際寄宿舎の半分以上は英語圏の人たち。ここでの公用語は英語。ちなみに僕は韓国語を話すことはできません。僕にとってなんとかのばしてきたのスコアが(大した点ではありませんが)頼みの綱でした。英語でコミュニケーションはとれるだろう、と高をくくっていたのですが・・・現実は甘くありませんでした。まったく通じないということはないですが円滑なコミュニケーションにはほど遠いもの。主たる原因が日常会話が聞き取れないということです。ネイティブ同士の会話に入っても何を言っているかわからなくて笑顔でうなずくことしかできない時にはなんだかみじめな気持ちになります。その頃、僕の心を象徴するかのようにソウルでも珍しいほど多くの雪が降りました。


「悔しさは実績で返す」

これは大学受験に失敗し浪人した当初、強く自分に言い聞かせた言葉。最近さまざまな国の人たちと話す中であの頃のことをよく思い出します。僕のいる寮ではラウンジに行けばいつも誰かいて国際交流には事欠きません。いろんなトピックについて語り合う日々です。日本についてよく話題になるのは天皇制、政治全般、自衛隊派遣問題、神風(第二次世界大戦中の特攻部隊)、日本のアニメや漫画、ラストサムライ・・・などなど多岐に及びます。そんな中で驚くのは他の非英語圏の人たちの英語運用能力の高さ。もちろん母国語との相性はあると思いますが僕が見る限り平均的に日本人が最も話すことができません。僕の場合会話の流れを追うのがやっとで発言しようと文章を頭の中で組み立てるうちに次の話題へ、なんてのは日常茶飯事です。自分の努力不足を棚にあげて本気で日本の英語教育の問題について考えたものです。そしてあるカナダの学生のダメ押し一言

Japanese have no opinion.

伝えたいことがあるのにできない自分へのもどかしさ。自分を通して日本が代表される責任、いろんなことを考えさせてくれた忘れられない一言です。話せば話すほど自分の未熟さが露わになります。その場から逃げ出そうかと思うと支えてくれた人たちの顔が浮かんでくる。負けられないっ!体当たりで身振り手振りでぶつかる日々。「悔しさは実績で返す」とつぶやきながら。

英語では負けても雪合戦では負けまいとScott(右)と筆者(左)の勝負!
結果は・・・
・・・。


寮地下一階のラウンジ
いろんな国の人と交流しながら勉強できます
(筆者は一番奥)

ある日、友人になった韓国人学生に聞いてみました。どうしてあなたは流暢に英語を話せるのかと。

I studied English to be alive.

思いがけない答えでした。彼は現在U.S.Armyに所属しています。(韓国では男性は約二年間、軍隊に所属する義務があります。)軍隊の中では些細なmissionの誤解で命を落とすこともある。だから彼は死にもの狂いで勉強したのだといいます。どこか甘さの残っていた自分に喝を入れてくれた一言でした。もっと本気にならなくては。彼の覚悟を少しわけてもらえた気がしました。

三月に入っていよいよ授業スタート。教授の英語は聞き取りやすいので講義内容に関してはそれほど問題ありませんでしたがネイティブの学生の中でのディスカッションやプレゼン、膨大な課題にはもがきも多いです。





つい先日、東アジアの歴史についての授業で初めてプレゼンを課せられました。英語へのコンプレックスや未知なる発表形式に頭を悩ませながらもとりあえず論文を読んでみる。しかしネイティブを対象とした膨大な英語論文はなかなか読み終わらない。どうなることやらと考えていた発表前日に一人の友人からのメール。

たった一行、こう書いてありました。

Hang in there.


見た瞬間大きな感動を覚えました。もちろん日本で「がんばれ」と訳してあるテキストを見たことはあります。だけどこの時の僕には 
hang in つまり「この膨大な英語論文にしがみついてあきらめるな」という感覚がすっと入ってきたのです。英語を母国語とする人たちは英語で勉強し、英語で買い物をし、英語で友人と語り合い、英
語で愛の告白をする・・・テキスト上の日本語訳に収めきることはできない血の通った言語としてはじめて認識できた瞬間でした。「あぁ英語は生きている」と。その後なんだかうれしくなりプレゼンの準備にも熱が入ったのを覚えています。

プレゼン本番、ネイティブの人たちが流暢にすらすらと発表するなかで僕はつっかえながらもなんとか無事終了。そして教授の一言:

Mr. Ehara, very good.

お世辞にも良い発表とは思えませんでしたが、静かにやさしくそう言ってくれました。

両親にはその結果だけメールしておきました。

こちらに来て一ヶ月、僕の留学生活はまだ始まったばかりです。それでもうれしいこと、苦しいこと、悔しいこと、本当にたくさんのことがありました。そのひとつひとつが日本では味わえなかったかけがえの無い体験です。そしてたくさんの支えなくしては今の自分が存在できないことを痛切に感じます。九大、延大のスタッフの方々、両親、応援してくれた友人達、本当に感謝です!この気持ちを忘れずにこれからの留学生活をより実りあるものにしていきたいと思います。

そして今、留学を考えている方々へ・・・


Hang in there!

応援しています。

九州大学工学府機械航空工学科修士1年
江原聡人